認知的断想 - 井関龍太のページ

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認知的断想

Last-modified: 2013年10月03日 (木) 01:04:06 (1875d)
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調整済みp値

SPSSで分散分析を行う際にオプションで「主効果の比較」を選ぶと,Bonferroniの方法による多重比較を行うことができます(他に,LSD法とSidak法も選べます)。
出力結果には「有意確率」としてp値が表示されます。
しかし,この出力を見て不思議に思っていることがありました。

まず,なぜp値が1になるのだろう,ということです。
SPSSのこのオプションでは,ときどき,「1.00」というp値が現れることがあるのです。
p値が1ということは,帰無仮説が常に棄却されないということでしょうか?
たぶん,そういう意味ではありません。

この値が得られる理由は簡単で,SPSSのBonferroniの出力では,通常のp値に帰無仮説の数をかけた値を表示しているためです。
すべての水準の組み合わせを比較するとすれば,比較の数(k)は水準数×(水準数-1)/2です。
例えば,3水準の比較の場合には仮説数は3,4水準の比較の場合には,仮説数は6です。
そこで,それぞれ,p値に3または6をかけるとSPSSと同じ出力が得られます。
実際,SPSSのBonferroniの出力は,同じデータでLSDのオプションを選択した場合のp値に比較数をかけたものに一致します。

定義的には,Bonferroniの方法による多重比較は,有意水準を比較数で割ったものなので(p=α/k),逆にp値に水準数をかけても同じ結果が得られるわけです(pk=α)。
例えば,k=3で,もとのp値がp1=0.01,p2=0.03,p3=0.42だとします。
5%の有意水準でBonferroniの調整を行うと,α/k=0.05/3=0.0167なので,p1のみが有意になります。
有意水準を比較数で割る代わりにp値に比較数をかけると,p1'=0.03,p2'=0.09,p3'=1.26となります。
5%を有意水準として解釈すると,pn'の中で0.05よりも小さい値はp1'だけなので,この帰無仮説のみが棄却されることになります。
確率としての通常のp値は0~1の範囲を取るはずなので,p値が1を越えた場合は1に直して表示することにすれば,SPSSの出力と同じになるはずです。

このように,どちらの方法を使っても確かに同じ検定結果が得られます。
しかし,多重比較法としては,αを割らなくてはならないのではないでしょうか。
というのは,ほとんどの多重比較では,まず有意水準を決めた後に,検定全体での危険率がその値を超えないような手続きを行うことになっているからです。

しかし,このかけ算による方法にもきちんと裏づけがあることを最近知りました。
それは,調整済みp値(adjusted p-value)という概念です。
Wright(1992)は,この調整済みp値による表記を推奨し,Bonferroniその他の方法におけるその算出方法を述べています。

Bonferroniの方法については,調整済みp値の算出は簡単です。
既に上で述べたとおりで,比較数をかけ,1.0以上の値は1にすればいいようです。
以下は,水準数4の場合の例です。

ステップオリジナルのp値帰無仮説の数をかけた値Bonferroniの調整済みp値
10.00030.00180.0018
20.00400.02400.0240
30.00740.04440.0444
40.27331.63981.0000
50.29241.75441.0000
60.79764.78561.0000

Holmの方法の場合にも,同様の方法で調整済みp値を算出することができます。
この方法では,p値を小さい順に並べ,kの値をステップごとに1つずつ減らして検定を行います。
つまり,4水準(k=6)の場合は,ステップ1ではα/6,ステップ2ではα/5を有意水準とし,途中で1つでも有意でない比較に出会ったら検定を終了します。
この場合も,調整済みp値を算出するには分母の数をもとのp値にかけることになります。
ただし,有意でない比較に出会ったら検定をやめる,という性質を反映させる工夫が必要になります。
このために,帰無仮説の数をかけた後のp値が前のステップのp値よりも小さくなった場合は,以前のp値をそのまま使うことになっています。
例えば,以下の例では,ステップ5のかけ算後の値はステップ4のそれよりも小さくなっています。
そこで,ステップ4の値を調整済みp値とします。
このようにすれば,「前のステップの帰無仮説が棄却されない限りは次のステップの帰無仮説を棄却してはならない」という決まりにしたがうことができます。
ステップ6についても同様にする必要があります。

ステップオリジナルのp値帰無仮説の数をかけた値Holmの調整済みp値
10.00030.00180.0018
20.00400.02000.0200
30.00740.02960.0296
40.27330.81990.8199
50.29240.58480.8199
60.79760.79760.8199

さて,それでは,このような調整済みp値にはどのような利点があるのでしょうか。
Wright(1992)が述べるところでは,

  1. どのくらい有意か(論文には“how significant”とあります)を知ることができる
  2. 特定の有意水準を想定しなくてもすむ

という2点があります。

確かにp値が有意になりそうかどうか知りたいこともありますし,有意水準を予め想定しなくても検定できるというのはその通りです。
例えば,上の表を見ると,Bonferroniの方法のときには,α≦.04でステップ1~3の帰無仮説が棄却できることがわかります。
同様に,Holmの方法のときには,α<.03で同じ3つの仮説が棄却されます。
通常のBonferroniやHolmの方法の場合には,このような見方はできず,予め何%の有意水準か決めてから検定を行う必要があります。

SPSSもこのような利点を鑑みて,調整済みp値による表示を採用しているのではないでしょうか。
SPSSにはBonferroni等の際に有意水準の指定がありませんが,この表記法であればそれが必要でないことになります(それでも,5%未満のときは*をつけるといった配慮はあるようですが)。
また,Rにも同様に調整済みp値を算出する関数があります(p.adjust)。
こうしてみると,統計ソフトウェアの仕様としては,調整済みp値は,事前の有意水準の設定を省略できるという意味で支持を得ているのかもしれません。

一方で,この表記法は誤解を招きそうな気もします。
例えば,上のHolmの方法の表を見ていると,ステップ1の比較はp=0.0018で有意,ステップ3の比較はp=0.0296で有意といったように解釈してしまいそうになります。
しかし,これまでの議論を考えると,そのような解釈は間違いであると思われます。
調整済みp値で解釈する場合,ファミリー内のすべての比較について同一の有意水準を用いなければならないはずです。
そうでなければ,もともとのα/kというBonferroniの不等式による調整が成り立たなくなるのではないでしょうか。
ステップによって恣意的に分母を変えてしまっては,ファミリーワイズのエラー率がコントロールできなくなるはずです(Holmなどのステップワイズの方法では,p値の小さい順に決められた調整値を割り当て,途中で有意でなくなったら終了というやり方を守らなくてはなりません)。
そこで,より適切には,α<.01ならステップ1の比較のみ有意,α<.03ならステップ1~3までの比較が有意,といった解釈になると思われます。

ただ,なんだかんだいっても,最終的には,5%水準か1%水準で有意かどうかを判定することになるわけです。
そう考えると,調整済みp値で個別の比較の有意性を知ったり,任意の有意水準で有意かどうかを調べたりすることの利点は,どのくらいあるといえるのでしょうか(データをくわしく検討するのはよいことだとは思いますが)。
上のような可能性を考えると,従来通りの既定の有意水準との比較の方が誤解の余地が少ないかもしれません。
もちろん,きちんと原理を理解していれば間違うはずがない,という意見ももっともなのですが。


Wright, S. P. (1992). Adjusted p-values for simultaneous inference. Biometrics, 48, 1005-1013.

(2007-12-04)
Tag: 統計

“ワーキングメモリ”という用語の初出

ワーキングメモリ(working memory)という用語の初出はBaddeley & Hitch(1974)ではない,というのは何かで聞いたことがあったのですが,では何が初出なのかというのはあまり気にしていませんでした。

先日,論文を読んでいたところ,次のような記述を見つけました。

“ワーキングメモリという用語は,最初は,Miller,Galanter,Pribramによって1960年に用いられたが,〔この時点では〕ごく簡単に,プランとゴールの一時的な保持のためのシステムとして非常に一般的な意味で述べられていた。”(Logie et al., 2007, p. xiii)

Miller et al.(1960)という文献は,“Plans and the structure of behavior”というタイトルの本です。
ちなみに,このMillerは,G. A. Miller,すなわち,あのマジカルナンバー7のMillerです。
こうしてみると,Millerはマジカルナンバーに加えて,ワーキングメモリという語も心理学に導入した功績があるといえるかもしれません。

少し調べてみると,ワーキングメモリという語の初出がMiller et al.(1960)であるというのはどうやらある程度一般的な認識のようです。

ワーキングメモリという用語がどこからきたのかは明らかではないが,それはMiller,GalanterとPribram(1960)によるプランと行動の構造という重要な,先進的な本において既に用いられていた。”(Cowan, 2005, p. 19)

“このセンターはそのような大事業にふさわしい場であるように思われる。Miller,GalanterとPribram(1960)は,プランと行動の構造という認知科学への古典的な貢献を生み出す際に,この場で‘ワーキングメモリ’という用語を考案したと思われるからである。”(Baddeley, 2007, Preface xi)

ただし,こうした引用の後には,この用語の意味を確定したり,一般に広めたりしたのは,やはりBaddeley & Hitch(1974)であろうといったことが述べられています。
Baddeley(2007)はやや違っていて,自分とHitchがこの用語を得たのは,Atkinson & Shiffrin(1968)の方からだったと思う,といったことを述べています。

とりあえず,用語自体の初出はMiller et al.(1960),(おそらくは)専門用語としての認識のもとに使用したのがAtkinson & Shiffrin(1968),それを広めたのはBaddeley & Hitch(1974)といったところではないでしょうか。
何となく,「織田がこね,羽柴がつきし天下餅,座りしままに喰うは徳川」という狂歌を思い出しました。
もちろん,徳川氏もBaddeley & Hitchもただ座っていたわけではありませんが。


Atkinson, R. C., & Shiffrin, R. M. (1968). Human memory: A proposed system and its control processes. In K. W. Spence (Ed.), The psychology of learning and motivation, vol. 2 (pp. 89-195). New York: Academic Press.
Baddeley, A. (2007). Working meory, thought, and action. UK: Oxford University Press.(バドリー, A. 井関龍太・齊藤智・川﨑惠里子 (訳) (2012). ワーキングメモリ-思考と行為の心理学的基盤- 誠信書房)
Baddeley, A. D., & Hitch, G. (1974). Working memory. In G. H. Bower (Ed.), The psychology of learning and motivation, Vol. 8 (pp. 47-89). New York: Academic Press.
Cowan, N. (2005). Working memory capacity. New York: Psychology Press.
Logie, R. H., Osaka, N., & D'Esposito, M. (2007). Working memory capacity, control, components and theory: An editorial overview. In N. Osaka, R. H. Logie, & M. D'Esposito (Eds.), The cognitive neuroscience of working memory. Oxford University Press. pp. xiii-xvii.
Miller, G. A., Galanter, E., & Pribram, K. H. (1960). Plans and the structure of behavior. New York: Henry Holt and Company.(ミラー, G. A.・ギャランター, E.・プリブラム, K. H. 十島雍蔵・佐久間章・黒田輝彦・江頭辛晴 (訳) (1980). プランと行動の構造-心理サイバネティクス序説- 誠信書房)

(2008-09-01)
Tag: 記憶

ハンドアウトは渡した方がいい

最近では,大学の通常の授業でも,PowerPointなどのスライドを使うことがめずらしくなくなってきました。
スライド中心の授業を行うとき,講師として迷いを感じるのは,ハンドアウトを配るかどうか,ということです。
ここでいうハンドアウトとは,スライドを紙に打ち出したもののことです。

PowerPointを使った授業でハンドアウトを配ると学生がノートを取らなくなる,という人がいます。
座っているだけできれいなハンドアウトが手に入ってしまうとそれで満足してしまい,スライドにはない先生の話などメモしなくなるだろう,というわけです。
一理ある気がします。

しかし,一方で,ハンドアウトを配らないと授業のペースがつかみにくいという問題もあります。
黒板を使って授業する場合は,講師が板書をするのに結構時間がかかるので,生徒もそれに合わせてノートを取ることができます(たまに,ものすごく書くのが速くてついていけないような先生もいますが)。
これがスライドの場合には,講師は板書をする必要がないわけです。
ボタンひとつで瞬時にスライドが現れます(もっとも,準備には相応の時間がかかっているわけですが)。

ここで,講師の取る道は少なくとも2つあります。

ひとつは,生徒がスライドをノートし終わるまで待つ,という方法です。
これは順当な方法かもしれませんが,黙って待っていると講師は手持ち無沙汰ですし,早くノートできる生徒も暇になります。
慣れた講師だとこの間に余談を話したりするそうですが,初心者にはなかなか難しいです。
もうひとつは,生徒がノートを取ることを期待せずにどんどん進めてしまう,という方法です。
これは妙な間を作らなくてすむという点ではよいのですが,情報量が多すぎてついていけなくなる生徒が続出する恐れがあります。

ハンドアウトを配っていれば,生徒がノートを取る時間,というものを考慮する必要性はぐっと少なくなります。
それなら,やっぱりハンドアウトを配ろうか……でも,それだと生徒の勉強にならないのではないか……と煩悶することになるわけです。
そして,折衷案として,授業の前ではなく,終わった後に配ることにしたらどうか,と考えたりもするのです。
しかし,その場合,最後にハンドアウトだけ持っていく生徒ばかりになったりしないだろうか?

そんなことを思っている中で興味深い研究を見つけました。
Marsh & Sink(2010)は,ずばりこの問題,すなわち,ハンドアウトを生徒に配ることが学習に及ぼす影響を実験的に検討しています。
特に,ハンドアウトを渡すとしたら,講義の前がいいのか,後がいいのかということも問題にしています。

この研究では,まず,実験前に事前調査を行っているのですが,この結果も興味深いです。
事前調査では,学生と講師にハンドアウトをもらいたいか/配りたいか,そうするとしたら講義の前と後のどちらがいいかを尋ねています。
学生の方は,大部分が講義前にハンドアウトをほしいと回答しました(回答者の74%)。
一方,講師の方は,いまひとつ気が乗らないようで,講義前に配りたい人は半数(50%),配りたくないという人も結構いました(21%;ちなみに,学生でハンドアウトがいらないという人は4%)。
この結果は,まさに上で挙げたような講師の懸念(“勉強にならないのではないか”)を反映しているように思います。

実験では,PowerPointを使って科学の科目を教える授業のビデオを見せています。
ビデオを使ったのは,すべての条件で授業内容を完全に同じに統制するためでしょう。
そして,ビデオ視聴中=授業中にノートを取ってもらい,最後にテストを実施しました。
ハンドアウトについては,講義前に見られる条件と見られない条件,講義後に見られる条件と見られない条件が組み合わせてありました(つまり,あり/なし×あり/なしの4条件がありました)。

実験の結果をおおまかにまとめると,ハンドアウトがあった条件の方が最後のテストの成績が良くなりました。
具体的には,講義後におさらい用としてハンドアウトを渡すことは,成績を良くしました。
講義前に渡すことの効果は実験によってやや結果が違っていますが,少なくとも,成績が下がることはありませんでした。

また,ハンドアウトを事前に渡すことで講義中に取るノートの量が少なくなりました。
これは,一見すると,よろしくない結果のように見えますが,そうではありません。
ノートの内容を分析すると,そのほとんどはスライドの内容を写したものでした。
そうすると,ハンドアウトがあることによってノートの量が減ったのは,スライドを写す必要がなくなったからだとわかります。
(ただし,この実験では,ハンドアウトがあっても,スライドにない情報をよりたくさん書くようにはならなかったそうです。)
さらに,先に述べたように,このことはテストの成績を下げません。

そこで,Marsh & Sinkは,ハンドアウトを配って授業をした方が効率的であると述べています。
成績に影響しないなら無駄なノート時間を節約した方がいいだろう,というわけです。
このあたりの割り切り方については,さすが合理的だな~と感心してしまいました。

というわけで,現在のところの心理学の研究結果によれば,授業の際にハンドアウトを配ることは害にはならず,どちらかといえば,勉強を助けるようです。
もちろん,この結果を通年の授業にもそのまま適用できるか確かめるには,さらなる研究が必要になることでしょう。
たとえば,この研究の実験参加者はわざわざ一時間以上もかかるような実験に協力してくれているわけで,いかにビデオの講義がつまらなかったとしても途中で居眠りしたりはしなかったでしょう。
実験に参加するということそのものがルーチン的な授業とは違っていて刺激的だったかもしれません。
他にも,実際の授業に応用するには,いろいろな違いを超えて効果を引き出すための工夫が必要になってくることでしょう。

そういう研究がひととおり進んだら,今度は,講師の話をもっとノートに取ってもらうための,いや,それ以前にもっと聞いてもらうための研究も必要ですね……。


Marsh, E. J., & Sink, H. E. (2010). Access to handouts of presentation slides during lecture: Consequences for learning. Applied Cognitive Psychology, 24, 691-706.

(2009-07-01)
Tag: 情報化社会の認知
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