認知的断想/いい加減に読まなければならない - 井関龍太のページ

ホーム   編集 凍結 差分 バックアップ 添付 コピー 名前変更 リロード   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS

認知的断想/いい加減に読まなければならない

Last-modified: 2013年09月28日 (土) 16:39:57 (1871d)
Top > 認知的断想 > いい加減に読まなければならない

インターネットが当たり前の社会になってくると,文章の読み方もこれまでと違った方式が要求されているのではないかと思います。
例えば,それが端的に現れているのがメールのやり取りではないでしょうか。

本来ならわざわざ書いて送ってくださった文章を一字一句ていねいに読んで返事するのが礼儀かもしれません。
しかし,メーラーを開くたびに50件以上のメールが来ている,といったことが常態化している方はそうもいかないでしょう。

ひとつひとつをていねいに集中して読んでいたら,とてもではないですが身が持ちません。
しかも,メールは随時続々とやってきて,同じ相手からまた別の用件が来たり,しまいには,返事はまだかというメールまで来てしまうのです。
そこで,どうしてもざっとメールの文面を流し読んで,さっと返事を書く,ということになると思います。

もちろん返事を読んですぐに返信しなくてもよいかもしれませんが,放っておくと返信していないことを忘れてしまいます(メーラーにチェック機能があっても)。
受け取る数が多い人ほどそうなる可能性は高いので,すぐ読んですぐ返信という傾向が強くなるのではないかと思います。

こうなると,書き手の方も,なるべく短く,わかりやすく書くということが重要になってきます。
短い時間でさっと読んでも誤解されない書き方をするということです。
そして,より定型的な書き方をする方がよいと思われます。

例えば,時候の挨拶や末尾の挨拶などはまず飛ばして読まれます(ダイレクトメールを受け取った場合のことを考えるとよくわかります)。
ですから,挨拶のように見えつつ,そこに重要な情報を含めてある,といった書き方は避けた方がいいでしょう。
用件は何であるか他の部分とはっきり分けて書くなど,ビジネスメールの書き方のサイトや本を眺めれば,具体的な対策はいろいろと得られると思います。

問題は,このような状況での文章理解・文章産出が日常的に要求されている,ということが研究・教育の文脈で意識されているだろうかということです。

上のような文章の読み方・書き方は,一般的な国語の教育とは違った方向を向いているように思います。
もし流し読みのスキルといったものを確立できるとしたら,将来に備えて生徒に教えておいた方がいいのかもしれません。
しかし,そのときに,これまでの伝統的な,丹念な読解方式というものは捨ててもよいものでしょうか。
流し読みのスキルだけを使うようになった場合と何か違いがあるのか,データに基づいて議論するには,予め研究しておく必要があるかもしれません。
また,これとは逆の方向性として,可能な限り情報を落とさなくてすむ,より効率的な流し読みの方法を探るという検討事項も考えられます(速読の研究はこれに近いと思います)。

いずれにせよ,文章理解の心理学と言うときには,今後はこのような問題も視野に入れていくことができるのではないでしょうか。

(2009-05-23)
Tag: 情報化社会の認知
TrackBack(0) | 外部リンク元 | このエントリーをはてなブックマークに追加