認知的断想/ハイパーテキストは学習を促進するか? - 井関龍太のページ

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認知的断想/ハイパーテキストは学習を促進するか?

Last-modified: 2013年09月28日 (土) 16:43:31 (1871d)
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新しいメディアが出てくると,何かそれを教育に役立ててみたくなるというタイプの教育者・研究者が一定数いる気がします。
ハイパーテキストは,現在ではかなり普及していますが,教育に役立ちそうでなかなかそうでもなさそうで,といった微妙な存在であるように思えます。

ハイパーテキストの特性といえば,やはりそのハイパーリンクの機能でしょう。
ハイパーリンクを使えば,たとえば,わかりにくい用語や新出の単語にリンクを張っておいて,クリックするとその解説が読める,といったしかけを作ることができます。
さらには,そのリンク先の解説に関連項目へのリンクを用意しておけば,興味を持った人はさらに関連情報まで学習できることになります。
そして,用語の解説が必要のない人は,これらのリンクを飛ばして読めばよいのです。
こう書くと,ハイパーテキストは,様々な特性(知識や興味の程度など)を持った読み手に対応できる,優れた教材になりそうに思えます。

しかし,実際には,なかなかそうもいかないようです。
先程の例を出しながら自分でも思うのですが,まず,リンクを“飛ばす”というのがなかなかできない気がします。
特に,学習目的でテキストを読んでいる場合や強い興味を持って読んでいる場合ほど,読み飛ばすことに抵抗を感じるのではないでしょうか。
そうすると,本文を読んでいる途中でリンクがあるたびに“たぶん,見なくてもいいんじゃないかな”と思いつつ,ジャンプして内容を確認することになります。
こういうときにリンク先にさらに別のリンクが張られていると絶望的な気持ちになります。
そして,行ったり来たりするうちに,本文にもどれない~となったりするのです。

このような経験には,やはり,ある程度の一般性があるようです。
DeStefano & LeFevre(2007)は,ハイパーテキストの読解に関する実証研究のレヴューを行っています。
この論文を読んで変わっているなと感じたのは,主に検討したい仮説が,“ハイパーテキストは認知的負荷を増して学習を妨げる可能性がある”というものだということです。
仮説をもう少し詳しく説明しておくと,ハイパーテキストの読みでは,途中に随時ハイパーリンクがはさまります。
読み手はこのリンクに出会うたびに,クリックするかどうかの意思決定を迫られることになります。
この意思決定が余分な認知資源を要求することになり,読解過程が妨害されるというのです。

なぜそんなネガティブな仮説を・・・よほどハイパーテキストに恨みでもあるのかと思ってしまいますが,論文を読む限りではそのような意図は感じられません。
むしろ,ハイパーテキストを学習に活かすにはどうしたらいいかを著者たちはあちこちで考察しています。

このような論述のスタイルになったのは,おそらく,著者たちがハイパーテキストの読みに関するいろいろな研究に当たった結果,こういう観点から議論するしかない,という境地に至ったためではないかと思います。
実際には,この論文で紹介されている研究の結果は,ハイパーテキストの利用に否定的なものばかりではなく,なかなか込み入っています。
通常の読みと結果は変わらないというものから学習に妨害的影響があったというもの,また,少数ですが,学習を促進したというものもあります。

結果の違いを生みだした要因として,学習者の既有知識の程度やワーキングメモリ容量,メタ認知能力などの個人差変数も挙げられています。
しかし,ここで注目したいのは,やはりハイパーテキストそのものが持つリンク構造の要因です。
研究を概観した結果からおよそわかってくるのは,リンクが多すぎると読みの効率が下がり,理解度が低下するということです。
また,リンクに“原因-結果”とか,“カテゴリー事例”といった関係性を持たせることは有効でなく,むしろ,単純に階層関係(上-下)を表している方が読みを促進しました。
他には,ポップアップなどでリンクの宛て先やリンク先の情報量があらかじめわかるしかけを作った方が学習が促進されるという報告もありました。

そうすると,学習に適したハイパーテキストとは,リンクが少なく,上下の階層関係にしぼった構造を持つものということになります。
ただ,それだと,ハイパーテキストならではの特性をなるべく使わないものがよいハイパーテキストだということになるような気がします。
縦横無尽にハイパーリンクを張れるのがハイパーテキストの利点ではなかったのでしょうか?

しかし,落ち着いて考えてみると,リンクでやたらとあちこち誘導される方が読みにくいのは確かです。
リンクがありすぎると,どこから手をつけていいかわからなくなり,それこそ認知資源を使い切ってしまうかもしれません。
階層関係にしぼり,リンク先を明らかにした方がよいというのは,ちょうどこの反対で,テキストの構造を明示することで読みを効率的にナビゲーションできることを示していると思います。

そうなると,そもそもハイパーテキストを使わずに,構造の明確な,静的なテキストを使うのが一番なのでしょうか?
ただ,この事態は,われわれのリテラシーがまだハイパーテキストについていけていないことによるのかもしれません。

  • ハイパーリンクがあったときにどうするか。
  • リンク先にはおよそどんな種類の情報があるのか。
  • どういう条件のもとでなら読み飛ばしてもかまわないのか。

こうした事項についてのコンセンサスが十分に確立されていないことが問題なのであって,これがクリアされたときには,現在の通念とは違った,よりダイナミックな読みを行う読み手が現れるのかもしれません。

個別のウェブサイトのレベルでなら,テキスト構造を明確にし,余分なリンクを整理することも可能かもしれません。
しかし,インターネットは無数のハイパーリンクを縦横無尽に張り巡らせていて,それらを勝手に書き換えることもできません。
こうした状況にどっぷり浸かるうちに,このような巨大でまとまりがなく,ときに矛盾した情報をも含むテキストを読みこなすためのリテラシーを現代社会の読み手は身につけるようになるかもしれません(平気で読み飛ばせる読者たち?)。
そうした先進的な読み手には,こんな長々とした文章はまるごと読み飛ばされてしまうかもしれませんね・・・。


DeStefano, D., & LeFevre J. A. (2007). Cognitive load in hypertext reading: A review. Computers in Human Behavior, 23, 1616-1641.

(2010-02-16)
Tag: 情報化社会の認知
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