認知的断想/言語研究の方法は量的であるべきか
Trends in Cognitive Sciencesに言語研究の方法論,より具体的には,研究者自身(または,その周囲の人間)による容認性・文法性判断に基づく研究方法に対する批判論文が掲載されました。
“レター”という扱いの短い論文なのですが,Gibson & Fedorenko(2010)は,上記の研究方法の問題点として,(1)事例数の少なさによる一般化にとっての問題と(2)仮説を知っている人間による判断に伴う認知的バイアスの問題を指摘しています。
統語論や意味論の研究がこのようなやり方を標準的な基準とするのであれば,より高度な方法論的基準を用いている研究者が言語学分野からの理論を無視するという結果を招く可能性もあるのではないか,とまで言っています。
そして,量的な基準に基づく方法論として,コーパスベースの方法と統制された実験を行う方法を挙げています。
いずれも,いちいちもっともな主張だと思われます。
いくら言語学者がこの文は容認可能であの文は容認不能だと主張したとしても,実際の言語使用者の99%がその判断を認めなかったとしたら,その判断は妥当なものといえるのでしょうか。
また,理論が当てはまる少数の事例だけが挙げられているのではないかとの疑いには,研究者は答える必要があるでしょう。
実験やコーパスに基づく研究は,これらの点を補うことができるものと思われます。
これに対して,レスポンスのCulicover & Jakendoff(2010)は,コーパス研究や実験研究だからといって常に適切な統制が行われるわけではないことを指摘し,言語理論の定式化における理論家の主観的判断の重要性を主張しています。
確かに,理論的な進展を遂げるには,データを集めるだけではなく,そこに何らかの飛躍が必要であると思われます。
それに,ネイティブのナイーブな実験参加者が常にその使用言語を十分に理解しているとは限りません。
通常の言語使用者には意識することのできないような,プロである言語学者にしかわからないような微妙な違いというものも存在してもおかしくはないでしょう。
また,Culicover & Jakendoffが指摘していますが,コーパスには一般的な事例が集められています。
しかし,言語学者が興味を持つのは,むしろ,稀な,特異な事例なのだということもできます。
なぜある文は,他の文によく似ているのに,正しい文であると容認されないのか?
こうしたことは,コーパスを眺めていても出てきそうにありませんし,統制された実験もこうした特異な事例への注目と理論的考察があってはじめて計画することが可能になるはずです。
……と,どちらもそれなりに納得のいく議論を展開しています。
むしろ,いま,なぜこのときになってこのようなプリミティブというか,ストレートな議論がなされているのかの方が私にはふしぎに思えました。
容認性判断は楽なんだからいいじゃん,細かいこと言ってたら言語研究がやりにくくなるよ(“cripple”と表現されています:Culicover & Jakendoff, 2010, p. 234l)という本音をのぞかせているのも興味深いですが,認知科学の側としては,こっちはいつもそれをやってるんだよ,というところでしょうか。
このご時世,やはりモノ(データ)がある方が強い気はします。
聞いただけで相手を黙らせてしまうほどのすばらしい理論・考察が続々と出てくるのであればもっと理論家の肩を持つこともできますが,だいたいにおいて言語学の理論は他の分野の人間に通じにくいことばで語られているように思います(言語学なのに? 言語学だから?)。
理論家の主観的判断の重要性を訴えるのであれば,この点にも改善の余地があるのではないでしょうか。
第三者としては,(そして,おそらく,究極的にはこの当人たちさえも)量的研究も研究者の直感もどちらも大切ですね,ということで落ち着いておきます。
なお,この論争(?)については,以下のリンク先に本文以外の関連資料もアップされています。
Culicover, P. W., & Jackendoff, R. (2010). Quantitative methods alone are not enough: Response to Gibson and Fedorenko. Trends in Cognitive Sciences, 14, 234-235. [Link to 著者ページ]
Gibson, E., & Fedorenko, E. (2010). Weak quantitative standards in linguistics research. Trends in Cognitive Sciences, 14, 233-234. [Link to 著者ページ]
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